EXISTENTIAL SCIENCE RESEARCH INSTITUTE
コラム

覗き魔お断り

匿名の問いに、答えない理由
箭内宏紀|実存科学研究所


実存科学研究所は、覗き魔お断りです。

箭内宏紀です。

先日、お問い合わせフォームに
匿名のメッセージが複数通、届きました。

名前欄は「山田太郎」、
メールアドレスは「example@mail.com」。
フォームの例文をそのままコピペしたものです。

内容は、実存科学の体系についての真剣な問いでした。
今回はそのことについて私の考えを共有したいと思います。

結論から言うと、
質問の内容が真剣なものであったとしても、
匿名であればお答えいたしかねます。

理由は、名前を明かされていないからです。
私は匿名の方とやり取りをする時間も、
そのような趣味も持ち合わせていません。

そもそも匿名の方とは
深い対話も学術的な議論も成立しません。
なぜなら、そこには言葉に対する「責任」が欠如しているからです。

無責任な方とやりとりしたところで、
何も生まれないでしょう。

大前提として実存科学は、
天命を悟り、日々全うし、
「心友」との出会いを楽しむという学問です。

その学問に匿名で関わろうとすること自体、
何か根本的な誤解があるのではないでしょうか。

匿名で問いを投げるということは、
返ってくる言葉を受け取る自分がいないということです。
それは対話ではなく、独り言です。

独り言は一人ですべきであって、
誰かを巻き込んでする類のものではありません。

「匿名で質問をする」という行為について

とはいえせっかくの機会ですから、
「匿名で質問をする」という行為に対して
少し考えました。

結論としては、
このような行為はある種の性癖のようなもので、
いわゆる「覗き」と実質的に変わりません。

少し想像しただけで気持ちが悪くなりました。
これは深く考えるに値しませんね。

匿名で自分を隠す本人は、
自分の姿形がバレない角度から、
一方的に対象を見ようとしているつもりかもしれません。

しかし、この自由意志なき世界において
そのような姿勢をとることは、
ただの弱虫なのだと思います。

少なくとも「天命に生きている」とは呼べないでしょう。

怪物と戦う者は、その過程で自分自身が怪物にならないように気をつけなければならない。そして、深淵を長く見つめれば、深淵もまたあなたを見つめている。

──フリードリヒ・ニーチェ

この場合は怪物と戦う勇気もなく、
安全地帯から深淵を覗こうという
変態性が見て取れます。

百歩譲って、
私はそのような存在を邪悪だとは思いません。
ただ怖いだけなのでしょう。
恐れているだけなのです。

しかしそれは「箭内に対して」ではなく、
本質的には「自分自身と向き合うこと」が。
あるいは「自分の人生と向き合うこと」が、
怖くてたまらないから、
わざわざ匿名で問うのではないでしょうか。


最後に

ひとつだけ、
余計なお世話を承知で申し上げます。

「匿名をやめて、自分の名前で生きる」ということを始めてはいかがでしょうか。それだけで弱虫をやめることができるからです。

これを今すぐ始めない理由があるでしょうか。
それとも弱虫のまま生きるのでしょうか。

どうぞお好きな方をお選びください。

以上をもちまして、
今後、同様のお問い合わせにはお返事いたしません。

誠実な方には誠実にお応えいたしますので、
お気軽にお声掛けください。

箭内宏紀
実存科学研究所

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