EXISTENTIAL SCIENCE RESEARCH INSTITUTE
メタ・リバース #04
コラム

星のパラダイム・シフト

箭内宏紀|実存科学研究所


最も新しいものを追っていたら、
最も古いものに行き着いた。

親愛なるあなたへ

この手紙が届く頃、私はもうこの世にいないだろう。たぶん、あなたが生きているのは、私がこれを書いている時から、ずいぶん先の時間だ。

それでも、こうして書いている。なぜなら、ここに書くことは、たぶんあなたにも起きることだからだ。

なぜこんな回りくどい書き方をするのか、と思うかもしれない。理由は、この連載の最初に書いた(詳しくはこちらの記事を読んでほしい)。

手短に言えば、こういうことだ。私は今、二百四十八年に一度という星の流れのただ中にいる。

どうやらこれから、私の人生はさらに波乱万丈になるらしい。何が起こるのか、正直、自分でもわからない。不安だ、と言ってもいい。

だからせめて、二百四十八年後の誰かが、私と同じような星の巡りの中に立たされて、何か手掛かりを探したとき、その人の検索に、この手紙がヒットするように。

そう思って書き残している。だからこれは、未来の見知らぬあなたへの手紙なのだ。

少し、私の話を聞いてほしい。

正直に書くと、ここしばらく、私は何かに取り憑かれていた。

朝、コーヒーを淹れる。一口飲む。気づくと、また考えている。昼になる。窓の外で誰かの犬が鳴いている。私はまだ考えている。

夕方、部屋が少しずつ暗くなっていく。それでも私は、机に向かって、ひたすら言葉を並べ続けていた。

何を考えていたのか。お金のことだ。

もっと正確に言えば、こういうことだ。最短で、最速で、最も無理のないやり方で、永続的に経済的な成功を収めるには、どうすればいいのか。

それをとことん考え抜いてみよう、と思ったのだ。

ただ、切迫して稼ぎたかったわけではない。私はもう、人生においてかなり幸せになってしまっている。だからこれは、欠乏からの問いではない

一族の大切な人たちが安心して生きられるように、そして大黒柱として揺るがずに立っていられるように、できることなら経済的にも圧倒的な結果を出したい。

そう思った。それだけのことだ。

ただ、ひとつ困ったことがあった。

困ったことに、私の星には、それがなかった。

最短で、最速で、永続的に稼ぐ。その動線が、どうやら私の初期設定には書かれていないらしい。

けれど、そう結論づける前に、少し回り道をさせてほしい。なぜ私が、星を読んでまで自分の初期設定を調べていたのか。その話からだ。

念のために書いておくと、私は占いにハマっているわけではない。

そもそもの出発点は、私が真理の探究者だということにある。人間には自由意志があるのかないのか。

それをとことん突き詰めた結果、私は「ない」という結論に行き着いてしまった。Metaがある限り、自由意志はない。私はこれをM⇒¬Fと呼んでいる。

けれど、結論が出たからといって、生きることは続いていく。すべてが必然だとしても、私はなるべく幸せに生きたい。

となると、何か拠り所が欲しくなる。自由意志のない世界を、それでも歩いていくための地図のようなものが。

そこで頼ったのが、先人たちの叡智だ。私の家系は武士の家系だから、武士道がある。実家は曹洞宗だから、仏教がある。

そして、古代から脈々と読み継がれてきた、インド占星術、西洋占星術、四柱推命。古今東西で千年以上にわたって人間を読んできた、これらの体系がある。

私はそれらを使って、自分という人間の初期設定を、丁寧に確認しておきたかった。

ただし、どれか一つを信仰しているわけではない。それぞれが、それぞれの世界観の中での「事実」にすぎない。

だから私は、一つに入れ込むのではなく、いくつもの地図を広げて見比べる。地図は領土ではないし、地図ごとに描き方も違う。

けれど、いろんな地図を重ねて見ると、自分が立っている地形が、少しずつ立体的に見えてくる。

しかし、どの地図を広げても、結論は同じだった。

古代から続くありとあらゆる体系で自分を分析しても、「最短最速で、永続的な経済的成功を収める」という動線は、私の初期設定のどこにも見当たらなかった。

スピードが足りないという話ではない。そういう道そのものが、はじめから引かれていなかったのだ。

これは、なかなか困った話だった。早く結果を出して、大黒柱としてそびえ立ちたいのに、そもそもその道がないのだから。

そして、絶望はそれだけではなかった。私には、会社員として組織の中で出世していく星もない。

市場の求めるものに合わせて商品を作り、それを拡大していく星もない。

あるのはただ一つ、自分の内から立ち上がる独自のものを作り、それが時間をかけて唯一無二として評価されていく、という道だけだった。

しかも、その星は大器晩成型だという。本質的な成功が訪れるのは、どうやらあと十三年は先らしい。

私はしばらく、途方に暮れていた。この探究は、たぶん、その途方の暮れ方から始まったのだと思う。

途方に暮れながら、私はあることを思い出していた。

実は、似たような行き詰まりを、私は半年前にも経験していた。そのときに見つけた、ひとつの法則がある。

前提として、星は変えられない。Metaがある限り自由意志はないのだから、生まれ持った初期設定を、意志の力で書き換えることはできない。

けれど、半年前の私は、ひとつだけ抜け道を見つけていた。星そのものは変えられなくても、その星が働く場所は、ひとつとは限らない。

同じ性質でも、向く先が変わると、まるで違うものになって現れる。私はこれを、星のパラダイム・シフトと呼んでいる。

どういうことか。例を挙げよう。

私には、自分が壊れるまで気づかずに努力し続けてしまう、という星がある。何かを究めようとすると、限界を超えてもブレーキが利かない。

これまで、それは心理学やビジネスの世界で発揮されてきた。そして結果的に、私は壊れた。

誰かを壊すか、自分が壊れるか。極端に言えば、その二択しかないような星だった。

これは不毛だ。瞬間的には大きな成功を掴む。けれど、最後には壊れて終わる。それは、ある種の悲劇に他ならない。

その構造に気づいたとき、私は正直、かなりショックを受けた。

けれど、あるとき、奇妙なことに気づいた。

もし、この「壊れるまでやる」という性質を、健康という領域に向けたらどうなるだろう。

壊れるほど健康になろうとすれば、結果的に、健康になり続けてしまうのではないか。

これが、星のパラダイム・シフトだった。弱点を矯正するのではない。

弱点を生むその構造が、まるごと別の場所で働きはじめると、同じ性質が、最強の武器になって現れる。

そして、これは机上の話では終わらなかった。あなたに信じてもらえるかはわからないが、この半年で、私は十キロ痩せた。

ウエストは二十センチ近く減った。体はびっくりするほど元気で、まるで十八歳に戻ったような気分だ。

毎日が、ただ楽しい。しかも、ほとんどお金もかからずに、これが起きている。

私は、二度と壊れない自分を、どうやら手に入れてしまったらしい。これは、私の人生にとって、けっこうすごいことだった。

健康でうまくいったのなら、お金でも同じことができるのではないか。

そう思って、私は来る日も来る日も、AIと延々と対話を続けた。死ぬほど喋った。議論を重ねて、重ねて、また重ねた。

そして、結論が出た。

私は、歌人になることになった。

短歌を詠む。……こう書くと、たぶん、何を言っているんだと笑われるだろう。

お金の話をしていたはずの男が、なぜか短歌を詠み始める。普通に考えれば、おかしい。

けれど、少なくとも私には、これがかなり合理的に思えてならない。説明させてほしい。

星周りとして、私に最強の武器として当てがわれているのは、言葉と論理を扱う力らしい。

目の前で起きている現象の因果を解きほぐし、それがどんな仕組みで成り立っているのかを、片端から言語化してしまう。

意識してやっているわけではない。やめようと思っても、勝手に動き続けてしまう。

この力は、内に向けると危ない。自分の言葉が、自分自身を切りつける。

ありもしない物語に、現実と区別がつかないほどのリアリティを与えてしまう。

たぶん、うつ病や統合失調症と呼ばれるものの、すぐ隣にある危うさだ。私はその淵を、何度か覗き込んだことがある。

けれど、同じ力を外に向けたとき、景色は変わる。私は、議論で押されることがほとんどない。

言葉の運用、論理の組み立て、法の使い方。そういうものが、どうやら得意らしい。

いや、正確に言えば、こうだ。勝ち負けという軸そのものが、私の立つ場所には存在しない。

自由意志があるという前提に立つ人と、Metaがある限り自由意志はないという前提に立つ私とでは、そもそも踏んでいる土俵が違う。

土俵が違えば、勝ちも負けもない。ただ、その都度の文脈に応じて、言葉を返していくだけだ。負ける議論を、そもそもしないのだ。

そういう星だからこそ、私は十年、あるいはそれ以上の歳月をかけて、自分独自の体系を築き、それで社会に貢献していく。そういう生き方になるらしい。

では、その根本にある力を、何で鍛えればいいのか。

答えは、感動を言語化することだった。

この世界の美しさや、ささやかな驚きや、胸を打たれる何かを、とにかく言葉にする。それが、私の能力を鍛える最良の方法だったのだ。

そして、その最小単位が、短歌だった。

短歌を選んだのには、もうひとつ理由がある。私が、短歌そのものに、心底惚れてしまったのだ。

考えてみてほしい。たった三十一文字だ。五、七、五、七、七。

それだけの器の中に、千年以上前の人々は、恋を、別れを、月を、桜を、死を、この世のすべてを詰め込んできた。

意味を削ぎ、また削ぎ、最後に残ったひとしずくだけを、その小さな器に注ぐ。

すると不思議なことに、削ったはずの世界が、かえって器の中に丸ごと立ち上がってくる。

しかも、この器は途方もなく古い。日本最古の歌集『万葉集』に、短歌はもう完成した姿で並んでいる。

あの有名な俳句でさえ、元をたどれば短歌から生まれた子どもだ。五・七・五という形は、短歌の上の句から枝分かれしたものにすぎない。

かつては長歌も旋頭歌もあった。けれど、それらは時の中で姿を消し、三十一文字の短歌だけが、千年を生き延びた。

私はそのことに、震えるほど感動した。三十一文字の中に、宇宙がまるごと統合されている。これは絶景だ。

先人たちは、なんという発明をしてしまったのだろう。千年かけて磨き上げられ、淘汰を生き抜いた、世界を圧縮する技術。

それを前にして、私は驚きを隠せなかった。

そして、奇妙なことに気づく。最短最速の、最も新しい道を探していたはずの私が、たどり着いたのは、最も古い様式だった。

けれど、それでいいのだと思う。温故知新という言葉がある。最も古いものの中にこそ、まだ誰も汲み尽くしていない新しさが眠っている。

千年生き延びた器に、今を生きる私が、私の感動を注いでみる。それは、最古への挑戦なのだ。これ以上のロマンを、私はちょっと思いつかない。

そして、この器は、ただ古くて美しいだけではなかった。私にとっては、もっと切実な意味を持っていた。これは、私のための器だったのだ。

世界の美しさや、ささやかな驚きや、胸を打たれた何かを、削ぎ落として、ひとしずくに変える。

その営みは、私の最強の武器を磨く、最高の訓練になる。

念のために言っておくと、短歌を詠めばお金が入る、という話ではない。一首を詠んだからといって、一円にもならない。

けれど、これをしなければ、私は本質的な成功にたどり着けない。少し、遠回りに聞こえるかもしれない。喩え話をさせてほしい。

陸上の十種競技に、「走る」という基礎能力がある。走ること自体は、別に一つの競技にすぎない。

けれど、走れなければ、跳ぶことも投げることもおぼつかない。走る力は、すべての種目の土台になっている。

私にとっての「走る」が、感動を言葉にすることなのだ。

これから先、何かを作って世に問うとき。セールス、マーケティング、マネジメント、コピーライティング。

そのすべての根っこに、物事の仕組みを解きほぐし、言葉にする力がある。その力を磨く基礎トレーニングが、短歌を詠むことなのだ。

十種競技の選手が毎朝走るように、私は毎日、一首を詠む。

だから私は、これからこれに没頭する。それは私が天命を言葉にしていく営みであり、大黒柱として揺るがず立つための、日々の鍛錬になる。

不思議なものだ。

お金の最短ルートを探していたはずなのに、たどり着いたのは、千年以上前から人々が詠み継いできた、三十一文字の詩だった。

最も新しいものを追っていたら、最も古いものに行き着いた。最も合理的であろうとして、最も非合理に見えるものに着地した。

地図のいちばん端まで歩いたら、出発した場所の、すぐ足元に泉が湧いていた。そんな感覚だ。

けれど、これはたぶん、回り道ではなかった。

遠回りをしなければ、足元の泉には気づけなかった。ありとあらゆる地図を広げ、検討し尽くした果てに、ようやくここに戻ってきた。

だからこれは、どこかから「見つけてきた答え」ではない。

ずっとそこにあった根っこに、長い旅の末に、ようやく手が触れた。そういう感覚に近い。

そういえば、と思い出したことがある。初めてではなかったのだ。会社をやっていた頃、私はメルマガで、こっそり短歌を詠んでいた。

「英雄の心理学」という企画では、みんなで歌を作り、読み合っていた。あのときは、ただの余興のつもりだった。

本流のかたわらで、片手間にやる遊び。けれど今になって振り返ると、あれこそが本流だったのかもしれない。

私はずっと前から、知らずに詠んでいた。本質は、いつも私のすぐそばで、気づかれるのを待っていたらしい。

そして今、私は、長く付き合ってきた地図を、静かに畳もうとしている。

インド占星術も、西洋占星術も、四柱推命も、ずいぶん世話になった。それらは、自分がどんな地形の上に立っているのかを、根気よく教えてくれた。

けれど、地図を読むことと、歩くことは、別のことだ。地形がわかったなら、あとは歩くしかない。

だから私は、畳む。星を読み尽くした果てに、星から、そっと離れる。

それは、卒業に似ている。長くいた場所を出ていくときの、あの少しの寂しさと、それを上回る身軽さ。

答えは、もう空の上にはない。毎朝、私が机に向かって詠む、一首の中にある。そう思えるようになった。

ふと顔を上げると、部屋はもうすっかり暗くなっていた。あの犬は、いつのまにか鳴きやんでいる。久しぶりに、頭の中が静かだった。

完璧な人生が手に入ったわけではない。そんなものは、たぶん、どこにもない。

けれど、完璧に整った出発点になら、私はどうやら、立てたらしい。

ここから、毎日一首を詠む日々が始まる。それだけのことが、今は、たまらなく愉しみなのだ。


―― この手紙を盗み読んでいるあなたへ

さて。ここから先は、二百四十八年後のあなたではなく、今、この時代に生きているあなたへの言葉かもしれない。

盗み読み、というのは冗談だ。むしろ、読んでくれて嬉しい。

もしあなたが、かつての私のように、自分の持って生まれたものをどう生かせばいいのか分からず、途方に暮れているのなら。ひとつだけ、伝えたいことがある。

ただし、はじめに念を押しておく。これは「占い師に相談してみたら」という話ではない。私の立っている場所は、そこではないからだ。

私はまず、人間に自由意志はあるのか、という問いを、何年もかけて自分で突き詰めた。

そして「ない」という結論に、自分の手で行き着いた。Metaがある限り、自由意志はない。

奇妙に聞こえるかもしれないが、これは絶望ではなかった。むしろ、究極の安心だった。

すべてが必然なら、このどうしようもない世界を、どうしようもないものとして、きっぱり腹をくくれる。

誰のせいでもない。自分の落ち度でもない。そう割り切れたとき、私の中に、ひとつの結論が残った。だったら、楽しまなければ損だ、と。

必然だろうがなんだろうが、私は不幸な気分でいるのが、ただ面倒くさい。

どうせ生きるなら、できる限りにこにこしていたいし、豊かでいたい。

だから私は、その豊かさを最大化するために、古代から続く先人たちの叡智を、遠慮なく使わせてもらうことにした。

星を読むのは、未来を当てるためでも、運命に逆らうためでもない。決められた世界を、最後まで味わい尽くすためだ。

そして、これは今の時代だからこそ言える。かつてなら、こんな分析には膨大な時間と金がかかった。けれど今は、AIがいる。

自分の星周りや、自分なりのルールを読み込ませて、ひたすら問いかけてみればいい。

「この決められた世界で、私はどう生きれば、いちばん豊かに笑えるのか」と。一瞬で、対話が始まる。やらない理由が、私には見当たらない。

すると時々、思いがけないことが起きる。これまで弱点だと思って隠してきたものが、置かれる場所が変わっただけで、いつのまにか最強の武器に変わっている。

壊れる星が、健康の鍵になったように。

私はそれを、自分の体で、半年かけて確かめつつある。だから、あなたにもきっと、何かが見つかる。

やり方は私の頭の中にあるから、隣で手伝うこともできる。

もしあなたが、二百四十八年後の人ではなく、この時代に生きていて、ふと、自分自身ときちんと向き合ってみたいと思ったのなら。その扉は、ここにある。

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そして最後に、もう一度、本当の宛先であるあなたへ。二百四十八年後の、見知らぬあなたへ。

ふと思うことがある。もしあなたの時代に、AIというものが健全に育っていたなら。

私が冒頭で書いた不安も、この手紙を残そうとしたことも、ぜんぶ取り越し苦労だったね、と笑われているのかもしれない。

そんな手紙、わざわざ書かなくてもよかったのに、と。もしそうなら、それはそれで、私はとても嬉しい。

あなたの世界が、そこまで優しくなっているということだから。

ただ、今の私には、今の私にできることしかできない。だから私は、私の持ち場で、できる限りのことを書き残しておく。

いつか、どこかの誰かの、ささやかな手掛かりになることを願って。

人類愛を、ここに。

親愛なるあなたへ。また、書く。

前の手紙: メタ・リバース #03 ── アウトカム・パラドックスという罠

最初の手紙: メタ・リバース #00 ── 248年越しの手紙

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